あの日のままの人
彼に初めて会ったのは、今から30年ほど前のことです。
昼食のお弁当を買おうと、近くのスーパーへ立ち寄った時でした。ちょうど昼時で、惣菜売り場には大勢の人が集まり、何が並んでいるのかも見えないほどの混雑ぶりでした。
そんな中、一人だけ少し離れた場所で静かに待っている男性がいました。
人だかりが空くのを慌てることなく待ちながら、穏やかな眼差しで売り場を見つめている姿がとても印象的でした。私はその後も何度か彼を見かける機会があり、そのたびに「なんて素敵な人なのだろう」と思うようになりました。当時、彼はまだ20代だったと思います。
私は長年接客業に携わってきました。そのせいか、人の雰囲気や人柄を感じ取るのは得意なほうです。彼を見た時も、「誠実で優しい人なのだろうな」と直感しました。
ちょうどその頃、結婚適齢期だった店のスタッフに彼がぴったりだと思い、「素敵な人を見つけたの。お昼にあのスーパーへ行けば会えるかもしれないわよ」と勧めたこともありました。スタッフは何度か足を運んだようですが、残念ながらご縁はなかったようです。
その後、彼が郵便局の制服を着ている姿を見かけました。
不思議なことに、私とはご縁があったのでしょう。やがて彼の勧めで家族の保険に加入することになりました。保険の説明をする彼は、初めて見かけた時の印象そのままに、話し方も声も丁寧で、誠実さがにじみ出ていました。
何年か経ったある日、彼から「私事ですが、ようやく結婚いたしました」と報告を受けました。
今思えば不思議なのですが、その時私は少し寂しい気持ちになったことを覚えています。もちろん、彼が選んだ奥様はきっと素敵な方なのだろうと思いました。それでもなぜか心にぽっかりと穴が開いたような気持ちになったのです。もしかすると、昔、うちのスタッフとのご縁を密かに願っていたからかもしれません。
郵便局員である彼は、数年ごとに転勤していきました。
けれど私は、彼が異動するたびに何かと理由をつけては、その郵便局へ足を運びました。定期預金を組みに行ったり、保険の手続きに行ったり、ときには切手を買うためだけに立ち寄ったこともありました。
最後に赴任した郵便局はかなり遠方にあり、以前のように気軽に訪ねることはできなくなりました。それでも事前に電話をしてから手続きに行くと、彼は地元のお菓子を用意して待っていてくれました。そして帰る時には外まで見送ってくれたのです。その心遣いがとても嬉しく、今でも忘れられません。
先日、たまたま汽車でその街を訪れる機会がありました。
特に用事はなかったのですが、「彼はまだあの郵便局にいるのだろうか」と気になり、ふらりと立ち寄ってみました。
窓口で名前を尋ねると、「○○は異動しまして、現在は別の郵便局で課長をしております」と教えてくださいました。
私はその郵便局を調べて電話をかけてみました。
「はい、おります。少々お待ちください」
そう言われて電話口に現れた彼は、私からの連絡をとても喜んでくれました。
30年という歳月が流れているにもかかわらず、その声は昔と少しも変わっていませんでした。穏やかで優しく、相手を安心させる話し方もそのままでした。
私は近況を伝えたあと、「あなたに会いたくて、前の職場へ寄ってみたんですよ」と話しました。すると彼も嬉しそうに、電話越しの再会を喜んでくれました。
その時、私はしみじみと思ったのです。
人は歳を重ねても、本当に大切な部分は変わらないのだと。
電話の向こうにいた彼は、30年前にスーパーの惣菜売り場で静かに順番を待っていた、あの日のままの人でした。
そして、そんな人がこの世のどこかで変わらず暮らしている。そのこと自体が、なぜだか私の心を温かくしてくれたのでした。
彼の優しさを思う時…
こんな曲を思い出します
Cody Francis – Honey Take My Hand
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