あの夜のAMRTA
もう二十年ほど前のことになります。
上京するたびに、私は代官山の「VANCE-BAR」へ立ち寄るのを何よりの楽しみにしていました。オーナーの美意識が隅々まで行き届いたその店には、第一線で活躍するクリエイターや文化人、著名人たちが自然と集まり、夜ごと豊かな時間が流れていました。
その店で知り合った飲み仲間の一人が、イラストレーターの早乙女道春さんでした。
ある日、早乙女さんから届いた個展の案内状を見て、そのイラストの線の美しさに心を奪われました。いつか個展へ行ってみたいと思っていたところ、ヴァンス・バーのマスターが「今ちょうど開催中ですよ」と教えてくださったのです。
時計はすでに午前一時を回っていました。
会場は、西麻布のバー「AMRTA(アムリタ)」。営業時間は夜八時から朝五時まで。真夜中でも作品が見れると聞き、私は思い切ってタクシーに乗りました。今思えば、女性一人で深夜の西麻布へ向かうのは、少し勇気のいることでした。
アムリタは「隠れ家サロン」と呼ばれ、多くの人を惹きつけていた伝説的なバーでした。路地裏のさらに奥、地下にひっそりと店を構え、看板もありません。地図の示す場所へ行っても、そこにはゴミ箱が置かれたビルの裏口のような入口があるだけで、本当にここなのだろうかと何度も周囲を見回したことを覚えています。
意を決して怪しげな階段を下り、扉を開けると、そこには外観からは想像もつかない世界が広がっていました。
天井の高いコンクリート打ち放しの空間。洗練されたインテリア。心地よい音楽。そして夜が更けるにつれ増えていく外国人客。クリエイターや音楽関係者、作家、モデルたちが自然に集う、大人だけが知る社交場でした。
真夜中のバーに足を踏み入れるのは、その日が初めてだった私は、少し緊張しながら店内へ入りました。すると、早乙女さんがすぐに私を見つけてくださいました。
「こんな時間に来てくれたんですね。」
そう言って、本当にうれしそうな笑顔で迎えてもらえたことを、今でも鮮明に覚えています。
カウンターへ案内され、「何にしますか」と聞かれた私は、シングルモルトをロックで注文しました。
当時は、注文のたびにその場で代金を支払う「キャッシュ・オン・デリバリー」というスタイルを知らず、早乙女さんに代金を立て替えていただいたように記憶しています。
店内には洋楽が流れ、グラスの触れ合う音や氷を削る音、英語と日本語が入り混じる会話が響いていました。薄暗い照明の中を人々が自由に行き交い、その熱気はギャラリーというより、一つの文化が息づくクラブのようでした。
壁いっぱいに展示された早乙女さんの作品は、昼間の白いギャラリーで見る絵とはまったく違って見えました。タバコの煙さえ演出の一部のように漂い、西麻布の夜の空気そのものが作品に溶け込んでいたのです。
後になって知りましたが、アムリタでは毎月一人のアーティストに壁面を無料で開放し、個展を開催していました。デザイナー出身だったオーナーの安部讃平さんは、若い才能を応援し続け、その展示は口コミだけで評判となり、順番を待つだけで三年かかることもあったそうです。
作品を見ている私の後ろへ、早乙女さんがそっと立たれました。そして、ごく自然に私を包み込むような距離から、一枚一枚の絵について静かに語ってくださいました。
私は後ろから抱き寄せられるようなその距離に、胸が驚くほど高鳴っていました。もちろん、そんな経験は、それまで一度もありませんでしたから。
それでも動揺を悟られたくなくて、何事もないような顔をして話を聞いていたことを思い出します。あの瞬間のぬくもり。鼓動。
胸の奥が熱くなるような高揚感。
二十年以上経った今でも、その感覚だけは少しも色あせていません。その夜、私は案内状にも使われていた一枚のイラストを、夢見心地のまま購入しました。
今でもその絵は、私の手元にあります。
眺めるたびに、あの夜の西麻布の空気、アムリタの匂い、店内に流れていた音楽、そして早乙女さんの声や手のぬくもりまでが、不思議なくらい鮮やかによみがえります。
一枚の絵には、その夜そのものが閉じ込められていたのでしょう。
早乙女道春さんの作品は、その後も雑誌や書籍、ジャズアルバムのジャケットなど、さまざまな場所で目にするようになりました。
どの作品も洗練され、美しく、見る人の心を惹きつけます。それでも私にとって一番大切なのは、あの夜に出会い、あの夜に持ち帰った一枚です。
それは絵であると同時に、西麻布がもっとも輝いていた時代の「夜の欠片」。そして、私だけの、かけがえのない思い出なのです。
アムリタでどんな曲が流れていたのか思い出せません。でも、ジャズが合う空間だったように思います。
Samba De Orpheu
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