医療に携わる人たち
私の母は、筋萎縮性側索硬化症(ALS)という病気を患っていました。
ALSは、「運動ニューロン(運動神経細胞)」が少しずつ壊れていく進行性の神経難病です。歩くこと、話すこと、飲み込むこと、そして呼吸することさえ、時間とともに失われていきます。現在でも、多くのALSは原因が明らかになっていません。
私が最初に異変を感じたのは、母と電話で話していた時でした。
「あれ? ろれつが回っていない。」
そう感じたのが始まりでした。
電話をするたびに症状は少しずつ進み、やがて食べ物も飲み込みにくくなりました。しかし、母の病名がALSだと分かるまでには、長い時間がかかりました。
病名を知った母は大きな衝撃を受けながらも、私に何度もこう言いました。
「症状が進行しても、延命治療だけはしないでほしい。」
ALSは飲み込む力も弱くなるため、受け入れてくれる病院を探すだけでも大変でした。そしてようやく、母は入院することになりました。
病気はゆっくりと、しかし確実に進行していきます。
やがて呼吸不全になったある日、それまで「延命治療はしないでほしい」と言い続けていた母が、こう口にしました。
「真綿で首を絞められているようで耐えられない。人工呼吸器をつけてほしい。」
その言葉は、母の苦しみがどれほど深かったかを物語っていました。
人工呼吸器を装着するということは、自分の意思で体を動かせないまま、生き続ける可能性を受け入れることでもあります。
母はその後、まぶただけを動かせる状態で、九年間を生きました。
私は遠方に嫁いでいたため、母のもとへ思うように通うことができませんでした。
そんなある日、見知らぬ方から私宛てに一通の手紙が届きました。
送り主は、母のリハビリを担当してくださっていた先生でした。
先生の勧めで、母は唯一動かせるまぶたを使い、パソコンを操作して私に手紙を書いてくれたのです。
何日も、何週間も、そして半年近くかけて綴られたその手紙には、こんなことが書かれていました。
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こんにちは。
お母さんは手紙を書くのが苦手ですが、一生懸命書きました。
このたび、こんな病気になってしまい、みんなに大変心配をかけることになり、申し訳なく思っています。
「遠くの親戚より近くの他人」と言いますが、娘は近くにいないと何の役にも立ちません。
先日、入院して初めてお風呂に入れてもらいました。とても良い病院に恵まれて、本当に幸せです。
毎日、代わる代わる皆さんが来てくださり、助けてもらっています。あなたからも皆さんにお礼を言ってください。
毎晩、妹が来て、足を揉んだり、お湯で顔を拭いたりしてくれます。そのたびに「もう帰ってあげて。子どもたちが待っているでしょう」と言うのですが、「こうしているのが一番嬉しいのだから」と言ってくれます。その言葉を聞いて、どっと涙があふれました。
この手紙は書き始めてから半年近くかかりましたが、やっと送ることができます。
この手紙を書くことを勧めてくださったのは、リハビリの西村先生です。とても優しく、親切にしてくださいます。
主治医の加藤先生も優しく、ユーモアのある先生です。お風呂の後には「ビールでもどうですか?」なんておっしゃって、笑わせてくださいます。
担当の看護師さんは後藤さんです。院内一の美人で、笑顔がとても可愛らしく、思いやりにあふれた素敵な方です。
そんな人たちに囲まれて、私は本当に幸せです。
あなたも、人にはできる限り親切にして暮らしてください。
お母さんは、幸せです。
⸻
私は、その手紙を握りしめて泣きました。
痒いところがあっても自分ではかくことができない。嫌なことを言われても言い返せない。そんな毎日を送っている母のことを、私はずっと案じていました。
だからこそ、この「お母さんは、幸せです」という最後の一文が胸に深く突き刺さりました。
きっと母は、人工呼吸器をつける決断をさせてしまったことを、どこかで悩み続けていた私に向かって、「大丈夫。私は幸せだから」と伝えてくれたのだと思います。
そして私は、この手紙を通して改めて知りました。
医療とは、病気を治すことだけではないのだと。
患者の尊厳を守り、心に寄り添い、「もう生きたくない」と思うほど苦しい人に、生きる勇気を与える。それもまた、医療に携わる方々の大切な仕事なのだと思います。
母が最期まで「幸せです」と言えたのは、優れた医療技術だけではなく、一人ひとりの温かな言葉や思いやりに支えられていたからなのでしょう。
あの手紙は、今でも私の宝物です。
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最後まで、娘を想ってくれてた
母を思う時、優しいメロディー
が聴こえてきます。
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