由布院、一期一会の旅
由布院、一期一会の旅 今から二十年以上前のこと。東京への出張を少し早めに切り上げ、私は一人で飛行機に乗り福岡空港へ向かった。 空港から博多駅へ移動し、由布院行きの切符を買おうと窓口に並ぶと、当時は美術館の入館券が付いたお […]
⭐︎I Don’t Care
由布院、一期一会の旅 今から二十年以上前のこと。東京への出張を少し早めに切り上げ、私は一人で飛行機に乗り福岡空港へ向かった。 空港から博多駅へ移動し、由布院行きの切符を買おうと窓口に並ぶと、当時は美術館の入館券が付いたお […]
ローカル線が運んでくれたもの 先日、宮古から久慈まで、三陸鉄道を利用した日帰りの一人旅に出かけました。 普段なら車で移動してしまう距離を、あえて列車で旅する。ローカル線の魅力は、車窓に広がる風景をゆっくり味わいながら、日 […]
自分の人生を切り開く その時、孫たちはまだ幼い幼稚園児でした。 両親の離婚によって、二人は母親に連れられて遠くへ行ってしまったのです。大人の事情で、子どもの人生はいとも簡単に変えられてしまう――そんな現実を、私はただ見つ […]
明日は明日の風が吹く 映画『風と共に去りぬ』を初めて観た時の衝撃を、私は今でも忘れることができません。 南北戦争前後の激動のアメリカ南部を舞台に、大農園タラの娘スカーレット・オハラの波乱に満ちた人生と恋愛を描いた壮大な物 […]
言葉ひとつの品格 昔、何かで読んだ短い文章が、今でも心に残っています。 ある家の庭先に、こんな立て札があったそうです。 「ここから先へ入るな」 そう書かれていると、不思議なことに、人はかえって中を覗いてみたくなるものです […]
消せない一枚の写真 私の携帯電話の写真の中に、もう何年も消さずに残してある一枚があります。新聞を撮影しただけの、何の変哲もない写真です。けれど、その文章だけは、なぜかずっと心に引っかかっていました。 文章は、こんな一 […]
忘れられない言葉 理不尽な出来事に遭遇するたび、私は決まって思い出す言葉がある。 「懸情流水 受恩刻石(けんじょうりゅうすい じゅおんこくせき)」 仏教の経典に由来するとされるこの言葉は、「かけた情けは水に流し、受けた恩 […]
山縣有朋の庭に惹かれて ずいぶん前に、京都を訪れたときのことです。 京都には、心惹かれる場所が数多くありますが、その中でも私は、いつも長居してしまう場所があります。高桐院と無鄰菴です。 とりわけ無鄰菴は特別でした。建物か […]
上野の森で舌鼓 上野公園の一角に、ひっそりと佇む老舗日本料理店[韻松亭]があります。緑深い森に抱かれるように建つ数寄屋造りの建物で、丁寧に仕立てられた豆菜料理や湯葉会席を味わうことができます。 上野公園のある場所は、もと […]
光琳のアトリエにて MOA美術館には、これまで何度も足を運んできました。尾形光琳の国宝《紅白梅図屏風》をはじめ、数多くの国宝や重要文化財を所蔵し、洗練された展示空間に能楽堂や茶室まで備えた、まるで一つの芸術世界のような場 […]
⭐︎言葉ひとつの温度 まだ夜の気配が残る朝四時半。眠っていた私を夫が起こし、「救急車を呼んでくれ」と言ったのでした。 見る限り、息も荒くない。顔色も悪くない。「どうしたの?」と尋ねると、「腕が痛くて眠れない。腕も上がらな […]
白いりんごの花 新緑が目にやさしい季節のある日のこと。 長年りんごを取り寄せている農家さんから、「りんごの花が見頃になりました。よろしければ、いらっしゃいませんか」と、お電話をいただいた。 その農家さんのりんごは、私がこ […]
幸せになるための条件 高校を卒業してしばらくのあいだ、私は家業を手伝っていた。電話応対や事務が主な仕事だったが、掃除や宴会の準備、料理の盛りつけ、皿洗いまで、できることは何でもした。 ある日、集金した現金の確認をしていた […]
金の中の一筆 MOA美術館を訪れたときのことです。 館内に再現された黄金の茶室を前にして、私は正直あまり心が動かなかった。眩しいほどの金。整いすぎた空間。どこか息苦しさすら感じて、足早にその場を離れようとした。 侘びや寂 […]
ヴェクサシオンとの再会 店を始めたばかりの頃のこと。上京のついでに友人と待ち合わせ、雑誌で見つけた有名レストランのランチを予約して出かけた。あの頃の私は、「素敵なお店」に行くこと自体が小さなご褒美のようで、胸を弾ませてい […]
ヘンリーに魅せられて 私がHENRYを知ったのは、今から五年ほど前のことです。ピアノとバイオリンを自在に操る姿に触れ、「なんて自由で、なんて豊かな才能を持った人なのだろう」と思ったのが、その始まりだった。 調べてみると、 […]
誰も知らない祖父の人生 私が岩手に嫁いだ頃、小さなアパートで一人暮らしをしている祖父がいました。 いつ訪ねても身なりはきちんとしていて、机の前に座る姿はどこか凛としていました。机の上の文具はきちんと並べられ、まるで定位置 […]
チャンスをつかむ人 ある日、上京していた時のこと。小包を出したくて、宅配便か郵便局がないかと探していた。 ふと、「恵比寿アトレの6階に郵便局があったような気がする」と、曖昧な記憶を頼りにエスカレーターで上がっていった。け […]
父から聞いた物語 昔、岩手県から結納のために、遠く岐阜まで義理の両親に来ていただいたことがある。結納も無事に終わり、夜は一緒に食事をし、その帰りにホテルまでお送りした車中での出来事だった。 運転していたのは、私が「ツトム […]
巨峰の記憶 高校生の頃、私は生徒会の書記を務めていた時期がありました。今となっては、生徒会長が誰だったのかさえ思い出せません。それでも、不思議と心に残り続けている出来事があります。 生徒会のメンバーの中に、一学年下の男子 […]
服部半蔵と西念寺 私が歴史小説を読みあさっていた頃のことです。おそらく、隆慶一郎の作品だったと思う。物語の世界に深く入り込みすぎた私は、いつしか自分が前世で「服部半蔵」と何らかの関わりがあったのではないか、などと思い込む […]
三条家の遺言 かつて、目黒駅からほど近い場所に「三条園」という名のホテルがありました。庭園の美しさで知られ、都会の中にありながら、どこか静謐な空気をまとった場所でした。 駅から歩いて行ける距離にあったこともあり、出張の折 […]
羽澤ガーデンの夜 最初に 羽澤ガーデン へ連れて行っていただいたのは、行きつけにしていた店のオーナーシェフでした。 その日も私は、いつものように一人で食事をしていました。気がつけば、最後の客になっていたようでした。「この […]
生命力の象徴「あしかび」 彼の名は、浅野孝之さんといった。浅野さんの会社と私は、一度も取引をしたことはなかった。それなのに、時折バイクで私のお店に立ち寄ってくださった。ある日、浅野さんが「石川県に素敵なお店があるんだよ」 […]
深草少将の百夜通い 京都に行くと、必ず指名するタクシーの運転手さんがいる。その方と初めて出会ったのは、主人との結婚三十周年で京都を訪れたときだった。宿まで迎えに来てくださったのがきっかけである。 ご高齢ながら、車を降りて […]
凛として生きる人 私がお店を始めて一年目のこと。思い切ってファッションショーを開催したことがありました。メーカーから洋服をお借りし、モデルはお客様。街にあった「スターライト」というダンスホールを借り、チケットは100枚用 […]
杉村英一さんと蛍 私の街の商店街が、まだ賑わいを見せていた頃のことです。通りの一角に小さなフリースペースがあり、ある日ふと足を止めると、そこに絵画の展示が見えました。何気なく入ってみたその場所で、私は杉村英一さんと出会い […]
人生の扉が開いた瞬間 ある日、私は取引先のメーカーに向かうためタクシーに乗りました。「どこまで?」と運転手さんに聞かれ、「千駄ヶ谷小学校の下あたりまで」と答えました。運転手さんはハンチングが似合う、どこか風格のある叔父さ […]
あの日の覚悟 あの日、全てが流され、命だけが助かりました。震災直後の街は、あまりにも無力感に包まれていました。道路は流され、燃料は不足し、人が移動することすら一苦労。そんな中、私に一筋の光が差し込んだのは、山道を通って会 […]
あの世に送ったLINE 私は以前、フラメンコを習っていた。上京したときだけ通う、月に一、二度のレッスンだった。ほかの生徒たちは週に四回も通っているというのに、私は「習っている」と言うのもためらうほどの頻度で、上達は決して […]
香りの向こうにナポレオン デパートの香水売り場で、いくつもの香りを試していたときのことです。甘いもの、爽やかなもの、どこか異国を思わせるもの。香りに包まれながら歩く時間は、それだけで少し現実から離れたような気分になる。 […]
銀座で見かけた紳士 東京に来ると、最近は銀座に宿を取ることが多くなった。何度か滞在するうちに、少しずつこの街の空気にも慣れてきたように思う。通りに並ぶ高級店のショーウインドウを眺めながら歩くだけでも、どこか心が浮き立つ。 […]
葉巻とマネークリップ もう二十年以上も前のことになる。ある雑誌で紹介されていた小さな店に、どうしても行ってみたくなった。 店の名前は「DAILY CATCH」。骨董通りから少し入ったところにある、アンティークの店だった。 […]
交差点の真ん中で よく晴れた秋のある日。渋谷の交差点では、信号が変わるたびに大勢の人が行き交い、どこからこんなに人が湧いてくるのだろうと思うほどの賑わいでした。私はその日、渋谷のスクランブル交差点を渡っていました。 する […]
美意識の旅人 青山の骨董通りに、かつて DECOdeBONAIR というお店がありました。このお店は、アッシュ・ペー・フランス がプロデュースしたもので、フランスの作家や無名のデザイナー、アート、骨董品などを「編集して見 […]
成功の陰に隠れた物語 エド・シーラン(Ed Sheeran)は、世界中で愛されるイギリスのシンガーソングライターであり、音楽プロデューサーでもあります。彼の音楽には、親しみやすいメロディーと心に響く歌詞が特徴で、その素朴 […]
隆 慶一郎さんの墓参り かつて『週刊少年ジャンプ』に連載されていた『花の慶次』を、私は夢中になって読んだことがある。連載は1990年から1993年。原作は隆慶一郎の小説『一夢庵風流記』である。少年漫画誌に掲載されていなが […]
チャック・ベリーが流れると 映画『パルプ・フィクション』(1994年)は、クエンティン・タランティーノ監督の代表作として知られている。犯罪を題材にした作品でありながら、緊迫した展開の合間に交わされる何気ない会話が妙に印象 […]
あの日に学んだこと 震災から十五年が過ぎた。けれども、あの日の光景は、今も私の記憶の中で色あせることなく残っている。あの出来事は、私の人生の中で最も忘れられない経験であり、人として大切なことを深く考えさせられた出来事でも […]
父を守ろうとした夜 あの日の出来事は、今でも私の記憶の奥に鮮明に残っている。思い出そうとしなくても、ふとした拍子に、その時の空気や胸の鼓動までがよみがえってくる。あれは、私が中学二年生の頃のことだった。 その電話を取った […]
風に立つライオンと父の言葉 映画『風に立つライオン』は、さだまさしの名曲「風に立つライオン」をもとに制作された作品で、アフリカで医療活動に従事する日本人医師の生き方を描いた感動作である。 私はこの曲を初めて聴いたとき、 […]
秘密の映画 『愛のコリーダ』という映画がある。英題は In the Realm of the Senses。1976年に公開された日本とフランスの合作映画で、監督は大島渚。昭和初期に起きた阿部定事件を題材にした作品として […]
霞網の中で泣く鳥 昔、ツグミをおとりにして鳥を捕まえるための小屋がありました。それは「とや」と呼ばれていました。ツグミは渡り鳥で、秋から冬にかけて日本にやってきます。群れで行動し、仲間の声に引き寄せられる習性があるため、 […]
絵師・立野貞秀の死 彼の名は、立野貞秀。名刺には、こう記されていた「絵師・立野貞秀」 私は長いこと、その名を「タテノテイシュウ」と読んでいた。ある日、川崎駅で待ち合わせをしたとき、私はようやく正しく「サダヒデ」と読むのだ […]
赤い長襦袢 私が三十代の頃、映画『吉原炎上』が公開されました。監督はたしか、五社英雄さん。あの濃密な色彩と情念の世界は、今も忘れられません。 物語の舞台は明治末期の吉原遊郭。貧しさゆえに売られた娘が、戸惑いながらも遊郭で […]
カットされた映像 震災から十五年が過ぎた。あの日の出来事は、町の景色だけでなく、私の人生そのものを大きく変えた。 あの日、私は店にいた。強い揺れのあと、ただならぬ気配を感じ、私たちはすぐに避難を始めた。けれど、津波は思っ […]
「デュエル」の似合う男 ホテルの化粧室で、ひとりの女性が私をじっと見ていた。鏡越しに視線が何度も絡み合う。私が化粧直しを終えるのを待つその目には、単なる好奇心以上の何かが宿っていた。 「突然、失礼ですが……お使いの香水 […]
質屋に入れた時計 私の父が、銀座の鮨屋で働いていた頃の話です。父は店の休みの日でさえ、薪を割り、掃除をし、黙々と働く人でした。仕事に対して手を抜くということを知らない人だったのだと思います。 ある休みの日、日頃お世話にな […]
甘い誘惑 店を始めて間もない頃のことだ。一日の仕事を終え、駅までの道を歩いていた。店から駅までは、およそ600メートル。たったそれだけの距離なのに、その夜の道のりは妙に長く、そして鮮やかに記憶に残っている。 当時32歳。 […]
夜のクラブ活動 昔、西麻布に Space Lab Yellow というダンスフロア系のナイトクラブがありました。 エレベーターで地下へ降り、扉が開いた瞬間、体が押し返されるほどの重低音に包まれる。あの衝撃は、今でもはっき […]
恋は突然やってくる 山手線で渋谷へ向かっていた、午後のことだった。 向かいの席に、濃紺のスーツを着た外国人の男性が座っていた。ネクタイは落ち着いたブルー。けれど、その胸元に無造作に垂らされたストールは、目の覚めるような鮮 […]
赤いカーテン 高校時代、私は「この人と卒業したら結婚するのだろう」と疑いもなく思っていた人がいた。彼は毎朝、通学路で見つけた花を一輪、必ず私に手渡してくれた。名も知らない小さな花の日もあれば、季節を告げる花の日もあった。 […]
⚫︎桑の実を食べた娘⚫︎ 私の実家のあたりには、お蚕さんを育てる家があった。養蚕という仕事が、まだ身近にあった頃のことだ。 小学生だった私は、祖母の知り合いが営む桑畑に、毎日のように遊びに行っていた。夏の陽射しをたっぷり […]
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