Essays & Music

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服部半蔵と西念寺

私が歴史小説を読みあさっていた頃のことです。おそらく、隆慶一郎の作品だったと思う。物語の世界に深く入り込みすぎた私は、いつしか自分が前世で「服部半蔵」と何らかの関わりがあったのではないか、などと思い込むようになっていました。

そんなある日、半蔵が眠る場所を訪ねてみたいという衝動に駆られ、四ツ谷にある西念寺へ足を運びました。

渋谷のラフォーレ原宿で白いパンツスーツを買い、その場で着替えました。トルコキキョウの花束を抱え、商店街を抜けていく自分の姿は、今思えばどこか芝居がかっていたかもしれません。それでも当時の私は、いたって真剣だったのです。

西念寺の境内に入ると、ひときわ大きな墓石が目に入った。すでに花が供えられていたことを覚えている。蚊に刺された記憶があるから、季節は夏だったのだろう。入り口には、半蔵が使ったと伝えられる槍も展示されていた。

寺の由来についての記録も印象に残っている。文禄二年(1593年)、徳川家康から金三百両を賜り、松平信康の御霊と徳川家の忠魂を弔うために建立されたという。半蔵の法名は「専称院殿安譽西念大禅定門」。この名にちなみ、寺は「専称山安養院西念寺」と呼ばれるようになった。

後に知ったことだが、信康は武勇に優れ、将来を嘱望された人物であった。しかし、その才は時に周囲の警戒を招く。織田信長の疑念を受け、家康はやむなく我が子に切腹を命じたとされている。

その最期の場で介錯を任されたのが半蔵だった。だが彼は、主君に刃を向けることができなかったという。命に背くことの重さと、人としての情のあいだで揺れた末のことだったのだろう。その後、無常を感じた半蔵は出家し、「西念」と号したと伝えられている。

こうした背景を知ったとき、私の中で半蔵という存在は、それまでよりもぐっと近しいものになった。徳川十六神将の一人として名を連ねながらも、彼はあくまで影に生きる存在であり、個人の記録は多く残っていない。その分だけ、想像の余地がある。

だからだろうか。ふと、こんなことを思う。

もし私が、くノ一だったなら――
その傍らにいて、彼を支えたいと願ったに違いない、と。

服部半蔵の傍らで、彼を支えたくノ一に
なりきって、この曲を…

Minato Saves Kushina (Naruto but it’s lofi hip hop)

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