Essays & Music

⭐︎Guacira

Essays & Music

午前四時三十分

人には、生涯忘れることのできない日がある。

立花さんが、この世を去った日も、私にとってそんな一日だった。

あの日、私は東京から盛岡へ向かう新幹線に乗っていた。

食事もしていないのに、不意に前歯が一本抜け落ちた。

あまりに唐突な出来事に胸騒ぎを覚え、車内にあった公衆電話へ向かった。テレホンカードを差し込み、自宅へ電話をかける。

受話器の向こうから返ってきたのは、思いもよらない知らせだった。

「立花さんが交通事故に遭って、盛岡の病院に運ばれた。」

その言葉を聞いた瞬間、胸騒ぎの正体を知った。

けれど、病院へ運ばれた彼は、そのまま帰らぬ人となった。

立花さんは、主人の親友だった。

私たちが結婚したばかりの頃、新婚旅行へ行く余裕などなかった。

代わりに泊まったのは、彼の小さなアパートだった。

三人でジンギスカンを囲み、二組しかない布団を寄せ合って眠った夜。

若さとは、不思議なものだ。

何も持っていなくても、それだけで十分に幸せだった。

その後、彼は私たちの結婚式に東京から来てくれた友人の一人と結婚した。

そして三年ほど過ぎた頃、私のもとへ一通の手紙が届いた。

封筒には、

昭和五十七年六月十五日 午前四時三十分

と記されていた。

四十年以上の歳月が流れた今、その便箋はすっかり色あせ、縁は淡い黄ばみを帯びている。

それでも、そこに綴られた言葉だけは、あの日のまま時を止めている。

彼は書いていた。

「悲しくて、虚しくて、寂しいんだけど……」

「家庭にも、仕事にも、社会人としても自信がありません。何より、自分自身に自信がありません。」

さらに、

「人生って……生きるって……何なんだろう。」

そう綴ったあと、彼は自分の好きな言葉を書き添えていた。

「相手が悪いと言いたい場合に、『私が悪かった』と言いましょう。たったこれだけで、どれだけ世の中が平和になるかもしれません。これが言葉の神通力です。」

そして、その言葉を愛しているにもかかわらず、

「どうしても妻には言えない。」

と続けていた。

「相手を人間として嫌いになってしまったからなのだろう。」

さらに、

「パートナーとして彼女を選んだのは自分の責任だ。」

「子どもには申し訳ない。できるだけ幸せになれる道を考えてあげたい。」

そう書き、

最後は、たった二行で手紙を閉じていた。

「俺のこと、小さい人間だと思うか。

実は、俺も自分でそう思っている。」

手紙を読み返すたび、その文字が滲んで見える。

実は、その少し前に私は横浜の彼の家を訪ねていた。

アパートの周りには草が伸び、玄関には長い時間が積もっているようだった。

押し入れから出してくれた寝具は、丸めたまま押し込まれていたのだろう。

シーツは幾重にも皺を重ね、どれだけ広げても元には戻らなかった。

その時、彼は照れ隠しのように笑って言った。

「シーツがないほうが、きれいなんじゃない?」

あの一言が、ずっと心に残っている。

あの部屋で、本当に皺になっていたのは、シーツではなく、彼の心だったのかもしれない。

もちろん、夫婦にしかわからないことはある。

外から見える景色だけで、その暮らしを語ることはできない。

それでも、午前四時三十分という時刻だけは、今も私の胸に静かに残っている。

眠れない夜。

誰にも話せず、一人で便箋に向かっていた彼。

その孤独を思うたび、胸が締めつけられる。

もし、あの夜、誰かが彼の隣で「大丈夫だよ」と声をかけていたなら。

そんなことを考えても、人生は何ひとつ書き換わらない。

人は、亡くなってから長い年月が過ぎても、ふとした拍子に生き返る。

色あせた便箋の中で。

懐かしい笑顔の中で。

そして、思い出した誰かの心の中で。

立花さんも、今も私の中で生きている。

だから私は、ときどきあの手紙をそっと開く。

午前四時三十分。

その時刻だけは、四十年以上経った今も、静かに止まったままである。


静かに彼のことを思う時…

Guacira


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