ヴェクサシオンとの再会
店を始めたばかりの頃のこと。上京のついでに友人と待ち合わせ、雑誌で見つけた有名レストランのランチを予約して出かけた。あの頃の私は、「素敵なお店」に行くこと自体が小さなご褒美のようで、胸を弾ませていた。
料理はきっと美味しかったはずだ。けれど不思議なことに、何を食べたのかまったく思い出せない。ただひとつ、耳に残って離れないものがあった。店内に流れていた、あの奇妙な音楽である。
どこが始まりで、どこが終わりなのか分からない。同じフレーズが、静かに、しかし執拗に繰り返されている。意識して聴かなければ、空気の一部のようにただそこにある。それでいて、気づいてしまうと逃れられない。
食事を終えて店を出た私は、友人に言った。
「変わったBGMだったね」
すると彼女は首をかしげて、
「音楽なんて、かかっていた?」
と答えた。
その一言が、かえって私の中に小さな棘を残した。
帰宅してからも気になって仕方がなく、ついには店に電話までしてしまった。「先日流れていた、同じフレーズを繰り返す曲の名前を教えてください」と。受話器の向こうで一瞬のためらいがあり、「日によって曲を変えておりますので、分かりかねます」という曖昧な返事が返ってきた。
それでも、あの音だけが消えなかった。
終わらない反復。わずかな揺らぎ。意味があるのかないのかも分からない、静かな執着。
やがてその記憶も薄れかけていた頃、私は一冊の小説を手に取った。ヴェクサシオン。ただタイトルに惹かれただけで、深い理由はなかった。著者は新井満。そのときはまだ、それがエリック・サティの曲名であることすら知らなかった。
物語の細部はもう思い出せない。ただ、この奇妙な題名がサティの作品から取られていると知ったとき、私は急にあの音楽のことを思い出した。
サティは好きな作曲家だった。《ジュ・トゥ・ヴ》や《ジムノペディ第1番》はよく聴いていたが、《ヴェクサシオン》だけは知らなかった。レコード店で探し、ようやく手に入れて針を落とした。
流れてきた音を聴いた瞬間、確信した。
「ああ、この曲だ」
短い旋律が、繰り返される。ただそれだけのはずなのに、聴いているうちに時間の輪郭が曖昧になっていく。変わらないはずの音が、なぜか少しずつ違って聴こえてくる。そして、この曲は短いフレーズを840回繰り返すという異様な指示がある作品だということを知りました。
あのレストランで耳にした音が、何年もの時を経て、ぴたりとはまった。まるで失くしていたパズルの最後の一片が、静かに音を立てて収まるように。
それは、偶然というよりも、どこかで約束されていた再会のように思えた。
この曲を聴きながら、私はふと考える。新井満があの小説で描こうとしたものは何だったのだろう。答えの出ない反復、意味のない時間、あるいはその中で揺れ続ける心だったのか。
そして同時に、エリック・サティは、どんな思いでこの曲を書いたのだろうとも思う。
答えは分からない。
けれど、分からないまま繰り返されるものの中にこそ、私たちは何かを聴き取ろうとしているのかもしれない。
そんなエリック・サティの
[ヴェクサシオン]を聴いて
みましょう!実際のCDには、
音声は入ってなくて、ピアノ
の同じフレーズが、繰り返す
だけとなっています。
ヴェクサシオン
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