誰も知らない祖父の人生
私が岩手に嫁いだ頃、小さなアパートで一人暮らしをしている祖父がいました。
いつ訪ねても身なりはきちんとしていて、机の前に座る姿はどこか凛としていました。机の上の文具はきちんと並べられ、まるで定位置が決まっているかのように、寸分の乱れもなかった。
孫の嫁である私が訪ねると、祖父はとても嬉しそうに迎えてくれ、いろいろな話をしてくれた。その中で今も忘れられない言葉がある。
「金が欲しかったら、金が惜しいと書け」
当時の私は意味を深く考えなかったが、祖父が倹約家で有名だということは、後になって周りから聞いて知った。
祖父は若い頃、大きな苦労をした人だった。
親が「かまどを返す」——つまり家計が破綻し、すべてを失う出来事があったという。その負債を背負い、必死に生きてきた人だった。
その影響もあってか、祖父の倹約ぶりは徹底していた。豆腐一丁を買うにも使い道を尋ね、バスに乗れば二つ手前で降りて歩く。そんな話を、私は後から何度も耳にした。
長年、郵便局長を務めていた祖父は、ペンを握り続けたせいか、右手が少し不自由だった。私は夏蜜柑をむいて一口大にし、フォークを添えて出すようになった。
やがて私に子どもが生まれ、「記念に写真を」と言うと、祖父は「少し待ってください」と部屋に戻り、一張羅のスーツに着替え、眼鏡まで替えてきた。その姿が、なんとも微笑ましかった。
授乳をしている私を見て、「きれいなおっぱいだなあ」と、無邪気に笑っていたことも、今では懐かしい思い出です。
ある日、家族がそろって結婚式に出かけ、祖父と私、そして生まれたばかりの子どもだけで留守番をすることになりました。
夕方、祖父は上寿司を二人前買って帰ってきました。
「一緒に食べよう」と言いながら、いざとなると「今日はあまり食欲がないから、あなたが食べなさい」と言う。そして、私が食べる様子を、嬉しそうに眺めていた。
冷凍庫には、大きな容器に入った高級そうなアイスクリームまで用意されていた。
後になって思えば、授乳中の私がお腹を空かせているだろうと気遣ってくれたのだろう。
ふと見かけたのは、祖父が自分の部屋で、棚にあった蒸かし芋を静かに食べている姿だった。
結婚式から帰ってきた家族が、そのアイスクリームを見つけて驚いた。
「誰が買ったの?」
「おじいさん」
そう答えると、皆が目を丸くした。その驚きぶりを見て、私は上寿司のことまでは口にしなかった。あの倹約家の祖父が見せた、ささやかな大盤振る舞い。それは、私にとって忘れられない出来事になった。
祖父は多くを語る人ではなかったけれど、その人生の中で培われたものは、確かにあの静かな行動の中に表れていたのだと思う。
誰も知らない祖父の一面。
それは今も、私の心の中で、温かい記憶として残り続けている。
祖父を思いながら…
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2CELLOS – Hallelujah [OFFICIAL VIDEO]
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