凛として生きる人
私がお店を始めて一年目のこと。思い切ってファッションショーを開催したことがありました。メーカーから洋服をお借りし、モデルはお客様。街にあった「スターライト」というダンスホールを借り、チケットは100枚用意しました。
料理や飲み物の準備、スピーカーの設置、音楽の選曲、照明――。誰かに頼んだわけでもないのに、周りの人たちが自然と手伝ってくれました。そしてナレーションは、私自身が務めました。
ファッションショーとダンスパーティーは、おかげさまで大盛況のうちに終わりました。
その後、借りていた洋服をメーカーへ返却する際、スタッフの一人が、商品を買い取ったため、その分を差し引いて着払いで返送したようでした。忙しさにかまけて、私はその確認を怠ってしまいました。
後日、あるメーカーの担当者から電話がありました。
「あれは、あきまへんわ。商品を借りておいて、着払いはないでしょう」
私よりも年下の方でしたが、はっきりと叱られました。けれど、私は反論することもできませんでした。確認をしなかったのは事実であり、彼の言葉は正しかったからです。私は素直に謝りました。
きっと、陰では同じように思っていた方もいたはずです。けれど、それを面と向かって伝えてくれたのは彼だけでした。不思議なことに、叱られたにもかかわらず、私はそのとき「なんて素敵な人だろう」と感じていました。
その後、出張の折に何度か食事をご一緒する機会がありました。彼はいつも「女性にご馳走になるのは嫌なんです」と言って、私にご馳走してくれました。取引先で、しかも年下の方にご馳走になったのは、後にも先にも彼だけです。
あるとき、出張先で宿が見つからなかった彼を、自宅に泊めたこともありました。その日の夕食は、今でもはっきり覚えています。鰹の刺身、蕗とシラスの煮付け、野沢菜の漬物。主人と二人分だったおかずを三人で分け合いました。
当時、我が家は七人家族。余分な部屋などなく、彼には子どもたちの間に入って寝てもらいました。人を自宅に泊めたのは、後にも先にもそのとき一度きりです。
やがて、彼は全く違う業種へと転職されました。それでも、1995年1月17日の阪神・淡路大震災の際には、心配で私から連絡を取りました。その時から、彼は私にとって忘れられない大切な存在になりました。
そして東日本大震災のとき。彼は私を探し出し、自分の「へそくり」を送ってくれたのです。
最初に出会った頃から、彼の生き方は何一つ変わっていません。お会いした回数は決して多くはありませんが、私にとってはかけがえのない大切な友人です。
凛としたその生き方と、やさしい語り口は、今も変わらず、私の心の中で静かに輝き続けています。
ボチェッリの「SOLO」は、人生の
新しい章を開く勇気や愛と希望を
込めた歌です。凛とした生き方の
彼を思う時この曲を思い出します
Solo Matteo Bocelli
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