Essays & Music

⭐︎Summer

Essays & Music

言葉ひとつの品格

昔、何かで読んだ短い文章が、今でも心に残っています。

ある家の庭先に、こんな立て札があったそうです。

「ここから先へ入るな」

そう書かれていると、不思議なことに、人はかえって中を覗いてみたくなるものです。ところが、同じ意味でも、

「ここから先へは、お入りになりませぬようお願いいたします」

と書かれていると、なぜか素直に「はい」と従いたくなる。たったそれだけの話なのですが、私はその時、言葉というものの不思議さに深く感心しました。

人の心は、ほんの少しの言い回しで変わってしまう。強く命じられると反発したくなるのに、やわらかな言葉には自然と心がほどけていく。以来私は、「言葉の選び方ひとつで、人の印象も、気持ちも、関係さえも変わるのだ」と感じるようになりました。

そんなことを思い出したのは、ある営業の男性の話し方に、少し寂しさを覚えた時でした。

その方は五十代を過ぎた、とても仕事のできる方で、立ち居振る舞いも見事でした。けれど、奥様のことを話される時だけ、なぜか違和感があったのです。

「うちの奥さんがね」
「うちの〇〇ちゃんがね」

親しみを込めているのでしょうし、ご本人に悪気などないのでしょう。それでも私は、その言葉を聞くたびに、どこか軽やかすぎる印象を受けてしまいました。不思議なことに、奥様その人まで安っぽく感じられてしまうのです。

そんな折、銀座の街角で、ひとりの紳士が挨拶を交わしている場面を見かけました。仕立ての良いスーツを着た、落ち着いた雰囲気の方でした。その方は静かな声で、こう言われたのです。

「いつも家内がお世話になっております」

私は、その「家内」という一言に、はっとしました。そこには、長年連れ添った伴侶への敬意や愛情が、さりげなく滲んでいたのです。決して大げさではないのに、品があり、聞く人の心を穏やかにする響きがありました。そして不思議なことに、お会いしたこともない奥様まで、「きっと素敵な方なのだろう」と想像してしまうのです。

言葉とは、その人自身を映す鏡なのかもしれません。

実際、私はこの話を何人かにお話ししたことがあります。すると、それまで「うちの奥さん」と呼んでいた方が「家内」と言うようになり、「旦那」と呼んでいた方が「主人」と言い換えるようになりました。

もちろん、どちらが正しいという話ではありません。ただ、言葉には、その人の心遣いや品格が自然と表れてしまうのだと思うのです。そして、人は案外、言葉によって相手を見ているのかもしれません。

もうひとつ、言葉の力を強く感じた出来事があります。

以前、私が助手席に乗っていた車が、接触事故を起こしたことがありました。突然のことで、空気は一瞬にして張り詰めます。そんな時、多くの人は、とっさに「そちらが悪いでしょう」と言いたくなるのではないでしょうか。

けれど私は、まず車を降り、相手の方のもとへ駆け寄って、

「お怪我はございませんか」

と、できるだけ落ち着いて声をかけました。

すると相手の方も、

「そちらこそ、お怪我はありませんか」

と応じてくださり、その後は驚くほど穏やかに話が進みました。もしあの時、感情のままに強い口調で言葉を返していたら、きっと結果は違っていたでしょう。

言葉には、人を傷つける力もありますが、同時に、その場を和らげ、心をほどく力もあります。

声を荒げ、互いを責め合う場面を見るたびに思うのです。ほんの少し相手を思いやる言葉を選ぶだけで、争いの多くは和らぐのではないか、と。

人は案外、優しい言葉ひとつで救われ、穏やかに生きていけるものなのかもしれません。

たった一言。
けれど、その一言が、人の心を温かくも冷たくもする。だからこそ私は、せめて誰かに言葉を届ける時だけは、相手の心に静かに寄り添うような言葉を選べる人でありたいと思うのです。


言葉の大切さを感じながら
こんな曲をお送り致します

Summer

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