⭐︎言葉ひとつの温度
まだ夜の気配が残る朝四時半。
眠っていた私を夫が起こし、「救急車を呼んでくれ」と言ったのでした。
見る限り、息も荒くない。顔色も悪くない。
「どうしたの?」と尋ねると、「腕が痛くて眠れない。腕も上がらない」と言う。
正直なところ、私は内心こう思っていた。
それくらいなら、夜が明けてから病院へ行ってもいいのではないか――と。
けれど、夫は早く電話をしてほしいと繰り返す。よほど痛いのかもしれないと思い、私は息子に相談した。
「そこまで言うなら、来てもらったら? 朝早いし、サイレンを鳴らさないようお願いしてみたら」
そう言われても、こんなことで救急車を呼んでいいのだろうかという迷いは消えなかった。
その時、相談窓口の存在を思い出し、「#7119」に電話をかけた。
対応してくれた方は、「緊急性は高くないかもしれませんが、今日は祭日で通常受診が難しいので、119番へ連絡してください」と落ち着いた声で案内してくれた。
私は少しためらいながらも、119番を押した。
電話口に出たのは、どこか慌ただしい男性職員だった。
「住所は? 電話番号は? 症状は?」
矢継ぎ早に質問が飛んでくる。こちらが答え終わらないうちに次の問いが重なる。
私は思わず、ゆっくりと言った。
「緊急ではありませんので、落ち着いて話を聞いてください」
「本人も話せますので、代わりましょうか」と尋ねても、「いいです」と短い返事。
「早朝ですので、できればサイレンを鳴らさずに来ていただけませんか」とお願いすると、「決まりなのでできません」と即答された。
最後に、「あなたの名前は?」と聞かれ、私はさらにゆっくり、自分の名前を告げた。
電話を切った後、少しだけ心がざわついた。
緊急時こそ、相手を安心させる言葉が必要なのではないだろうか。慌てている人に、さらに焦りを重ねるのではなく、「大丈夫ですよ」と落ち着かせる声があってもいいのではないか、と。
もし私なら、こう伝えるだろう。
「ご安心ください。今から救急車が向かいますね。まず、お名前を教えていただけますか。住所とお電話番号もお願いします。患者さんはお話できますか?」
たったそれだけでも、電話の向こうの人の気持ちは違う気がする。
幸い、夫は歩くことも話すこともできたので、私は付き添わず、あとで息子と一緒に病院へ向かった。
診察を終えた夫が戻ってきた。
骨折ではなかったと聞き、私はようやく胸をなで下ろした。
看護師さんは、「これを窓口に出して、お薬をもらって帰ってください」とだけ言い、足早に去っていった。きっと忙しかったのだろう。
早朝勤務で疲れていたのかもしれない。
けれど、その素っ気なさの奥に、「これくらいで救急に来ないでほしい」という空気を感じてしまった。
もし私なら、こんなふうに声をかけたい。
「お待たせしました。骨は折れていなかったようですよ。よかったですね。あとは窓口でお薬を受け取ってお帰りください。何かご不安なことはありますか?」
ほんのひと言で、人は安心できる。
言葉には、温度があるのだと思う。
そんなことを考えていた時、ふと東京の友人のことを思い出した。
彼女が癌で入院していた頃、私は仕事帰りに、広尾の 日本赤十字社医療センター を訪ねた。
治療の副作用で髪を失った彼女は、それでも明るく、「カツラを作ったの」と笑って見せてくれた。私はそれを被っておどけ、二人で笑った。
仕事帰りだった私のために、彼女は売店でおにぎりまで買って待っていてくれた。
そうしているうちに、消灯時間になった。
その時、見回りに来た看護師さんが、私にそっとこう言った。
「今日は、朝からあなたが来るのをとても楽しみにされていたんですよ。決まりで消灯にはなりますが、どうぞお時間の許す限り、そばにいて差し上げてください」
私は胸を打たれた。
本来なら、「消灯ですので、お帰りください」と言われても不思議ではない。けれど、その看護師さんは、“規則”より先に、“患者の気持ち”を見ていた。
長い闘病生活の中で、大切な人と過ごす時間がどれほど心を支えるかを、きっと知っていたのだろう。
「ありがとうございます」
そう言いながら、私は涙がこぼれそうになった。もちろん、決まりや効率は大切だ。
無駄のない対応も必要なのだと思う。
けれど、人が人を支える仕事には、ほんの少しの思いやりや、やわらかな言葉が必要なのではないだろうか。
たったひと言で、人は傷つきもする。
そして、救われもする。
私はあの朝、改めて「言葉の力」を考えたのである。
色んな思いをこの曲に乗せて…
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