杉村英一さんと蛍
私の街の商店街が、まだ賑わいを見せていた頃のことです。通りの一角に小さなフリースペースがあり、ある日ふと足を止めると、そこに絵画の展示が見えました。何気なく入ってみたその場所で、私は杉村英一さんと出会いました。
空間には、青を基調とした抽象画ばかりが並んでいました。濃紺の上に、青や藍が幾重にも重ねられたその絵は、まるで静かな呼吸をしているかのようでした。「藍」を「愛」になぞらえた題名が付けられているのも印象的でした。手の届く価格だったこともあり、私は一枚の絵を購入しました。
その作品のタイトルは「愛は饒舌」。
それからというもの、私はその独特の技法に強く惹かれ、後に盛岡にある杉村さんのご自宅を訪ねる機会を得たのでした。そこは一般的な住宅とはかけ離れた、まるで学校の体育館のような広々とした空間でした。話をするうちに、杉村さんがかつて小学校の教師をされていたことを知ったのです。
岩手県下閉伊郡岩泉町安家――山あいの集落には、かつていくつもの分校があったという。しかし1960年代から1980年代にかけて、その多くは廃校となった。杉村さんは、その分校で子どもたちに教えていたのでした。
その頃の話の中で、私の心を強く引きつけたのは蛍の話だった。初夏の夕暮れ、ぽつりぽつりと光り始める蛍。やがて暗くなると、顔に当たるほど無数に飛び交うという。
どうしてもその光景を見てみたくなった私は、友人二人を誘い、杉村さんと四人で安家の分校を訪れることにした。
夕暮れ前に宮古の町を出発し、車で一時間あまり。分校に着いた頃には、あたりはすでに薄闇に包まれていた。草の伸びた校庭にシートを広げ、持参した寿司を食べ始める。やがて、口に運んでいるのがマグロなのかイカなのかも分からなくなるほど、闇は深くなっていった。
校庭の隅にはトイレが残っていたが、あまりの暗さに近づく気にもなれず、私たちは順番に物陰で用を足した。今思えば可笑しいが、その時はただただ、暗闇が怖かった。
やがて、完全な闇が訪れる。
そして――。
ぽつり、ぽつりと、蛍が灯り始めた。
最初は遠慮がちだった光は、次第に数を増し、気がつけば私たちは蛍の中に立っていた。顔のすぐそばを、光がかすめる。杉村さんの言葉は、本当だったのだ。
あまりの光景に、誰も言葉を発することができなかった。
あの夜の幻想は、今でも忘れることができない。電気もなく、人の気配もない、ただ暗いだけの廃校だったからこそ、あれほどまでに心を打つ光景に出会えたのかもしれない。
蛍は、風のない蒸し暑い曇りの夜に最もよく現れるという。六月から八月、水の清らかな場所の近くで、夜七時半を過ぎた頃に。
杉村さんは、2004年に亡くなられた。
私の手元には、あの日購入した「愛は饒舌」の絵が残っている。そして心の中には、蛍に包まれたあの夜の記憶がある。
穏やかで、人生を楽しむことを自然に知っている人だった。あのような先生に出会えた子どもたちは、きっと幸せだったに違いない。
私もまた、杉村英一さんのように、人生を味わいながら生きていきたいと思う。
私は、杉村英一さんを想う時…
何故か、この曲を思い出します。
優しいメロディーをお楽しみ下さい
Asian Sea-WONG WING TSAN
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