Essays & Music

⭐︎Cinematic Blue

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人生の扉が開いた瞬間

ある日、私は取引先のメーカーに向かうためタクシーに乗りました。「どこまで?」と運転手さんに聞かれ、「千駄ヶ谷小学校の下あたりまで」と答えました。運転手さんはハンチングが似合う、どこか風格のある叔父さまでした。目的地に到着し、料金を支払って降りました。しばらくして、仕事を済ませた私は再びタクシーを拾おうと手を挙げました。

ところが、次に乗ったタクシーの運転手さんが、先ほど降りたばかりの運転手さんだったのです。これには私も運転手さんも驚きました。同じ日に同じタクシーに乗るなんて、まるで奇跡のように思えました。運転手さんは興奮気味に言いました。「これも縁だね。今日は僕の家に泊まらない?」と。しかし、私は「残念ながら、今日の夕方の新幹線で帰ります」と笑って答えました。それでも、運転手さんは「本田竹広さんのバックでドラムをやっているんだ。高田馬場のゲートワンという店にぜひ来てみて」と、何度も後部座席の私を見ながら名刺を渡してくれました。

その後、私は新宿に向かう途中で「高田馬場」というアナウンスを聞き、思わず降りてしまいました。運転手さんとの偶然の出会いが心に残っていた私は、ゲートワンに行こうと決め、店を探しました。

ゲートワンは、その時代のジャズミュージシャンたちが集まる場所として、音楽業界の重要な「交差点」として知られている店だということは、後になって知ったことでした。初めての場所に女一人で入るのは少し勇気がいりましたが、私は決心してドアを開けました。そして、メジャーなお酒「ジャックダニエル」をロックで注文しました。

まだ早い時間帯だったので、お店の方に話しかけてみました。「先日、タクシードライバーさんに勧められて来てみました。本田竹広さんがよくここで演奏されていると聞いて来たんです。私も岩手県宮古市の住人です」と伝えました。すると、ピアノの近くに座っていた方が「今日、宮古から来たという人は誰?」と聞かれ、私は手を挙げて「私です」と答えました。すると、その方はとても喜んで「じゃあ、宮古高校の校歌を弾こう!」と言って演奏してくれたのです。その時、私は初めてその方が本田竹広さんであることを知りました。

その後、私は何度かゲートワンに足を運びました。ある日、本田竹広さんから電話がありました。「僕の新しいCD、もう買った?」と聞かれ、まだ買っていないと答えると、「買えよ」と笑いながら言われました。最初は無口で不器用な感じを受けた本田さんですが、心を開くと情が深く、温かい人柄であることが伝わってきました。「今度宮古に行くから、あなたの店の二階でライブをしよう」「ピアノ、買っておいてね」と言われ、私は「アップライトのピアノしか二階に運べませんよ」と答えました。その時の突然の申し出に、私は思わず笑ってしまったことを覚えています。

ところが、その数日後、私は本田竹広さんの訃報を聞きました。ライブの計画を話したばかりだったので、信じられませんでした。私は驚きと悲しみに包まれ、東京で行われた葬儀にも出席させていただきました。

それから約一年後、本田さんの息子・珠也さんが父の死後、浄土ヶ浜パークホテルでコンサートを開くことになりました。そのコンサートには東京から多くのファンが駆けつけ、その中にはあのタクシードライバーさんもいました。彼は私を見つけると、「本田さんのお墓参りに行きたい」と言い出しました。私は、彼を宮古市長根にある「長根寺」まで案内しました。

私たちは一緒に本田竹広さんのお墓を探しました。灰色の地味な墓石が並ぶ中、一際異彩を放つ墓石がありました。そこには洋酒やビール、楽譜などが盛り沢山に供えられており、賑やかな雰囲気を醸し出していました。その時、晴天だった空から急にパラパラと雨が降り出しました。タクシードライバーさんは、「ほら、本田が喜んでるよ」と言い、嬉しそうに空を見上げました。

人生の扉が開く瞬間は、ほんの一瞬の出来事です。タクシードライバーとの偶然の出会いから、ゲートワンで本田竹広さんと出会い、その後の貴重な体験が私の人生を豊かにしてくれました。改めて、人生は短いものだと感じさせられた出来事でした。

人生の色んな瞬間を思い出して…

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