Essays & Music

⭐︎和

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赤い長襦袢

私が三十代の頃、映画『吉原炎上』が公開されました。監督はたしか、五社英雄さん。あの濃密な色彩と情念の世界は、今も忘れられません。

物語の舞台は明治末期の吉原遊郭。貧しさゆえに売られた娘が、戸惑いながらも遊郭で生きる術を覚え、やがて最高位の花魁へと成長していく――そんな哀しくも、したたかな物語でした。

豪奢な美術、贅を尽くした衣装、息をのむようなセット。当時の空気がそのまま立ちのぼるような映像のなかで、私の目を奪ったのは、若い新造や花魁になりたての遊女たちが身につけていた真っ赤な長襦袢でした。

長襦袢は本来、表からはあまり見えないものです。けれど袖口や裾、襟元からふと覗くその色が、思いがけない艶やかさを生む。とりわけ赤は、魔除けの色であり、若さや情熱の象徴でもあるといいます。外に見せるためではなく、内に秘めているからこそ、いっそう心を揺らすのかもしれません。

私は着物をいくつも持っていますが、長襦袢は白や淡い色ばかりでした。あの映画を観たあと、ふと「赤を一枚、持ってみてもいいのではないか」と思い立ち、東京の呉服店で仕立ててもらいました。

選んだのは無地の赤。しかしよく見ると、絹地には桜吹雪の織りが浮かび上がる。控えめでありながら、決して安っぽくはない。手にしたとき、胸の奥が少し熱くなったのを覚えています。

赤い長襦袢は、単なる時代考証ではなく、情熱や欲望、執念、内に秘めた感情を象徴する演出として用いられることもあるそうです。初夜や、特別な客を迎える夜、自分を強く印象づけたいとき――そんな場面で選ばれたとも聞きます。

あの頃の私は、自分にはどこか色艶が足りないと思っていました。せめて長襦袢の赤に、その足りない何かを託したかったのかもしれません。見えないところに、ひそやかな炎を忍ばせるように。

けれど、その赤い長襦袢は一度も袖を通されることなく、いまも箪笥の奥で眠っています。仕立てたときの仕付け糸も、そのままに…

あの赤を、そっと誰かに見せたいと思う日は来るのでしょうか。
それともあれは、誰かのためではなく、まだ見ぬ自分自身のための色なのでしょうか。

今日の曲は、[和]です。

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