カットされた映像
震災から十五年が過ぎた。
あの日の出来事は、町の景色だけでなく、私の人生そのものを大きく変えた。
あの日、私は店にいた。強い揺れのあと、ただならぬ気配を感じ、私たちはすぐに避難を始めた。けれど、津波は思ったよりも早かった。私は店の前の駐車場にあった自分の車に乗り込み、逃げようとした。ほんの十メートルほど進んだところで、車体がふわりと浮いた。
水に、浮いたのだ。
少し離れた場所で、別の車に乗っていたスタッフがその様子を見ていた。引きつったその表情は、「もう、だめだ」と語っているように見えた。
浮いた瞬間、流されてきたロープがタイヤに絡まり、さらに木の杭がホイールに突き刺さった。車は動かない。水位は刻一刻と上がる。車の脇を走って逃げていた男性が、私の車に刺さった杭を必死に引き抜いてくれた。そのおかげで、私はようやく車を動かし、安全な場所までたどり着くことができた。
助かった命の陰で、たくさんの命が失われた。私は、目の前で流されていく人の手を、掴むことができなかった。ただ、見守ることしかできなかった。その無力感は、今も心の奥に沈んでいる。
倒れたお地蔵さんが、これ以上傷つかないようにと、私は大判のストールを巻いてきた。凍えるように寒い夜だった。何度も思った。「あのストールがあったら」と…
何が起きているのかも分からぬまま、知人の家で夜を明かした。道路も流されたと聞き、翌日、私は長い山道を通って自宅へ向かった。残り少ないガソリンが、持つかどうか不安だったが、それでも家族の安否を知りたかった。
やっと自分の町に着いたとき、役場の建物の下は、まるで空襲にでも遭ったかのような焼け野原だった。まだ燻る町を歩き、自宅へ向かう。家族は無事だった。その姿を見た瞬間、全身の力が抜けた。
その夜、衛星電話で三分ほど通話ができるという知らせを聞き、夫とともに出かけた。そこにはテレビの取材クルーがいた。まず夫にマイクが向けられ、彼は長く話していたように思う。
次に私の番が来た。
「どちらに電話されますか?」
「ホテルのキャンセルと、実家に無事を伝えます」
寒さもあり、私は短く答えた。正直なところ、なぜこんなときに撮影するのだろうと、少し不機嫌でもあった。笑顔を作る余裕はなかった。
後日、その映像が放送されたと知った。あの短いインタビューのおかげで、私の無事を知ったという知人もいた。それはありがたいことだった。
けれど、あれだけ長く、明るく、大きな声で話していた夫の映像は、一秒も流れなかった。
すべて、カットされていた。
カメラマンはきっと、被災地の「悲痛な映像」を求めていたのだろう。悲惨な報道の中に、元気で明るい声は必要なかったのかもしれない。
あの日、流されたものは、家や町だけではない。切り取られ、編集され、放送された映像の外側に、語られなかった思いがいくつもある。
あれから十五年。
私の中には、今も「カットされなかった記憶」が、はっきりと残っている。
今日は、15年前の震災を思い出して…
Wind (Naruto but it’s lofi hip hop)
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