Essays & Music

⭐︎Tears in Heaven (Acoustic Live)-Eric Clapton

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あの世に送ったLINE

私は以前、フラメンコを習っていた。上京したときだけ通う、月に一、二度のレッスンだった。ほかの生徒たちは週に四回も通っているというのに、私は「習っている」と言うのもためらうほどの頻度で、上達は決して早くなかった。それでも一度だけ、発表会に参加したことがある。
その日は、今でもはっきり覚えている。個人レッスンだった私は、ほかの生徒と顔を合わせるのもその日が初めてだった。東京という場所のせいか、皆どこか洗練されていて、華やかな空気に包まれていた。教室では本名ではなく、「テレサ」や「ナターシャ」といった呼び名で呼び合う。私もその日から「ナターシャ」になった。互いの職業も年齢も知らないまま、ただ踊ることを楽しむ関係が心地よかった。
二次会へ向かうとき、事件のような出来事があった。慣れない都会で、私はタクシーの手配にもたつき、一人取り残されてしまったのだ。そのとき、「ナターシャ、乗って」と声をかけてくれた人がいた。振り返ると、先ほど舞台で踊っていたあの人だった。宝塚の男役トップスター、峰さを理さん。特別参加で「テレサ」と踊っていた方だった。
ほんの7〜8分のタクシーの時間だったが、不思議と長く感じられた。気さくで、やわらかく、相手を緊張させない話し方。スターという言葉から想像する距離感はそこにはなく、ただ一人の人として、隣に座っていた。

それからしばらくして、私は震災に遭い、店も何もかも流されてしまった。呆然とした日々の中で、フラメンコの先生が生徒たちから義援金を集めて送ってくださった。そして「気晴らしに」と、毎年七月に開かれる誕生日パーティーに誘ってくれた。仮装が恒例の会だったが、私はそんな気力もなく、私服で参加した。その会場で、再び峰さんに声をかけられた。「ナターシャ、命が助かってよかった」。その一言だけで、胸の奥に溜まっていたものがほどけていくようだった。そして続けて言われた。「ドレスが無事だったと聞いたから、秋の発表会で一緒に踊ろう」。突然の申し出に戸惑う私に、先生は「こんな機会はないのだから」と背中を押してくれた。
震災の片付けで四十肩になり、腕も思うように上がらない状態だった。それでも私は、その申し出を受けた。発表会は、ほとんどぶっつけ本番だった。私の赤と黒の衣装に合わせ、峰さんは黒のシャツに赤い帯を締めてくれた。舞台に立つと、峰さんは私を主役のように引き立て、自然に導いてくれた。その包容力に、私はただ身を委ねるしかなかった。
さらに時が過ぎたある日、代官山のバーで偶然再会した。峰さんは私を見ると驚き、連れの友人に席を替わってほしいと頼んだ。そして私を隣に座らせると、立ったまま抱きしめた。それは軽い挨拶ではなく、深く、あたたかく、すべてを受け入れるような抱擁だった。私はその瞬間、これまでにないほど「女性」として抱かれる感覚を知った。息をするのを忘れるほどの包容力に、ただ圧倒された。
その後、舞台やコンサートにも足を運んだ。表現力、歌唱力、そしてあの品のある佇まい。華やかさの奥にある「深み」を感じさせる人だった。誠実で、穏やかで、誰に対しても変わらない。その人柄に、私はいつしか惹かれていた。
けれど、会いたいと思いながら年月は過ぎ、峰さんはコロナ禍の中で亡くなった。訃報を知ったとき、現実を受け入れることができなかった。病気のときに連絡をしなかったことを、今でも悔やんでいる。
携帯には、あの日のメッセージが残っている。「ナターシャ、不甲斐ない相手役でごめんね!」。その言葉のあとに、私はもう返事をすることができなかった人へ、メッセージを送った。
「あなたのことが、愛おしくてなりません」
届くはずのないその言葉は、それでもどこかに届いているだろうか。
私の人生の中で、あれほど誠実さと信頼を感じさせてくれた人はいない。誰にも壁を作らず、人の緊張をほどき、そっと寄り添う人だった。そんな人に出会えたことに、今はただ、静かに感謝している。

エリック・クラプトンが息子さんを
亡くした時に制作されたという名曲を

Tears in Heaven (Acoustic Live)-Eric Clapton

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