絵師・立野貞秀の死
彼の名は、立野貞秀。
名刺には、こう記されていた
「絵師・立野貞秀」
私は長いこと、その名を「タテノテイシュウ」と読んでいた。ある日、川崎駅で待ち合わせをしたとき、私はようやく正しく「サダヒデ」と読むのだと知った。ホテルがなかなか見つからず、夫に「立野さんの家に泊めてもらえばいい」と言われたのがきっかけだった。
彼は独身で、年老いたお母様と二人暮らしだった。家に通されると、奥からお母様の声がする。「サダちゃん」。その呼び名が、名刺の「絵師」という肩書きよりも、ずっと彼の本質を語っているように思えた。
昔、彼は川崎市役所に勤めていたという。安定した職を辞して、絵の道へ進んだのだ。お母様と私はすっかり意気投合し、「どうして、市役所を辞めてまで、絵を描かなければならなかったのかしらね」と、半ば冗談めかしながら同じ思いを口にした。
翌朝、お母様は私のために、驚くほど手の込んだ朝食を用意してくださった。その味と湯気の向こうに、息子を思う母の静かな愛情を感じた。
やがてお母様も亡くなり、彼はひとりになった。寂しさに耐えかねたのか、深夜に電話がかかってくることが増えた。夫が受話器を取ると、「俺はいま、男の声なんて聞きたくないんだ」と言って、私に代わるよう求めた。彼の声はいつも、どこか子どものようだった。
ある日、東京で会う約束をした。彼は時間に正確な人だったのに、その日に限って現れない。まだ携帯電話もなく、テレホンカードがようやく出回り始めた頃である。私は一時間半、ただ立ち尽くして待った。帰宅して何度か電話をかけても、誰も出ない。
数日後、再び電話をすると、見知らぬ女性の声がした。「兄は亡くなりました」
言葉を失った。彼はキャンバスの前で倒れていたという。そして、その日がお通夜だと告げられた。家に戻る時間はなかった。たまたま黒っぽい服を着ていた私は、そのまま汽車に飛び乗った。
川崎駅に着いて、ようやく大変なことに気づいた。住所を書いた手帳を忘れてきたのだ。どうしようもなく、ただタクシー乗り場へ向かった。
なぜか二台を見送り、三台目の黒いタクシーに乗り込んだ。「どちらまで?」
「立野さんの家までお願いします」
私は、区も番地も告げなかった。それなのに、運転手は振り向いて言った。
「亡くなった立野さんのところですか?」
運転手は彼の友人だった。私は導かれるように、迷うことなく立野家へと運ばれていった。不思議な出来事だった。あれはきっと、彼が最後にしてくれた“手配”だったのだと、今も信じている。
彼の作品は、切り絵を張り合わせたような、重なりと断層の美を持っていた。色とかたちが幾層にも集まり、ひとつの世界を形づくる。
彼の遺産として、私のもとに残った作品の題は「集積」。
それはまるで、彼の人生そのもののようだった。公務員としての時間、母と過ごした日々、孤独な夜の電話、そしてキャンバスの前で迎えた最期――。それらすべてが重なり合い、ひとつの「集積」となって、いまも静かに私の中に在り続けている。
今日は、サイモン&ガーファンクルを…
Simon & Garfunkel – The Boxer (Audio
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